2020年01月25日
麒麟がくる 明智左馬之助
大河ドラマ「麒麟がくる」でたのしみにしているのが明智左馬之助こと明智秀満。
大津人なら、どこかで目にしたことある名前やな〜
と思う人もちらほら?

明智左馬之助こと明智秀満
島ノ関の琵琶湖文化館の前にたっている、明智左馬之助湖水渡りの碑、そういや見たことありません?
明智光秀の娘婿だった左馬之助こと明智秀満は、本能寺の変のあと光秀が山崎の合戦で敗れると、安土城を出て坂本城へと向かいます。
大津の打出浜から敵陣を突破して、騎馬のまま琵琶湖に入り、柳が崎まで湖水のなかを渡ったという逸話が、明智左馬之助湖水渡りとして語り継がれているのです。

左馬之助が打出浜を出て、辿り着いたのが柳が崎、旧琵琶湖ホテルのびわ湖大津館の辺り。
駐車場の脇に、明智左馬之助が共に湖水を渡った愛馬 大鹿毛を繋いだという「駒止めの松」の碑がたっています。


ここでは別名 光俊と記されています
明智左馬之助が湖水を渡るときのいでたちが、講談などでは印象的に語られています。
それが、彼の陣羽織が白地に狩野永徳が墨で描いた雲龍の図柄だったという。

福山聿水画 明智左馬之助湖水渡之図
*ここに掲載された明智左馬之助の絵画像の転載転用はお断りいたします。
大津人なら、どこかで目にしたことある名前やな〜
と思う人もちらほら?

明智左馬之助こと明智秀満
島ノ関の琵琶湖文化館の前にたっている、明智左馬之助湖水渡りの碑、そういや見たことありません?
明智光秀の娘婿だった左馬之助こと明智秀満は、本能寺の変のあと光秀が山崎の合戦で敗れると、安土城を出て坂本城へと向かいます。
大津の打出浜から敵陣を突破して、騎馬のまま琵琶湖に入り、柳が崎まで湖水のなかを渡ったという逸話が、明智左馬之助湖水渡りとして語り継がれているのです。

左馬之助が打出浜を出て、辿り着いたのが柳が崎、旧琵琶湖ホテルのびわ湖大津館の辺り。
駐車場の脇に、明智左馬之助が共に湖水を渡った愛馬 大鹿毛を繋いだという「駒止めの松」の碑がたっています。


ここでは別名 光俊と記されています
明智左馬之助が湖水を渡るときのいでたちが、講談などでは印象的に語られています。
それが、彼の陣羽織が白地に狩野永徳が墨で描いた雲龍の図柄だったという。

福山聿水画 明智左馬之助湖水渡之図
*ここに掲載された明智左馬之助の絵画像の転載転用はお断りいたします。
Posted by sho惑星 at 02:50│Comments(0)
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