2014年01月28日
吉田松陰と長野主膳
世間が楽天マー君の移籍の話題で賑わうなか、それ以上に気になったのが、
吉田松陰の自筆と思われる辞世が長野主膳の遺墨の中から出てきた
と、井伊美術館が発表したニュース。
井伊直弼の懐刀の長野主膳。
冷酷非道なイメージをもたれているけれど、舟橋聖一の「花の生涯」では魅力的に描かれていて、キライやない。
マイブームの頃に、主膳の私塾、伊吹山の麓の桃廼舎(もののや)跡も、村山たかゆかりの金福寺も巡ったし。
政治家やなく国学者の彼は、吉田松陰という人に関心があったんと違うんかなあ、て思う。
ところで朝日新聞の記事は、山口県文書館保管の絶筆と同じく、辞世の句に添えられた松陰の名「矩方(のりかた)」が「矩之」と署名されていることに注目。
これまでは、処刑前に動揺して名前を書き間違えたんやないかとの見方もあったそう(それはありえへんわ〜)
でも今回の辞世にも「矩之」と署名されていたことで、刑死で名を汚さないように改名した可能性が強いのでは、と解説されていました。
ふーん、そうなんかなあ〜
勝手な想像やけど、そんなこと気にしはるようには思えへんのやけど‥
それよりも、死後生まれ変わった新たな自分を思って改名しはったんちゃうかなあ〜って。
こればっかりは本人に聞かんと分からへんね。
直弼の没後、彦根藩の体制が変わり、長野主膳も処刑されるのは、なんともなんとも。
幕末って、ダイナミックな時代やわ〜
主膳が投獄されていた牢屋跡には、義言地蔵(よしとき=主膳の諱)があります。
そのお地蔵さんの前に立って振り返ると、彦根城の天守閣が見えるんやなあ〜これが‥
主膳も牢屋の明かり取りから、かつて自分が直弼とともに権勢を誇っていたお城を眺めていたんやないかなあ、などと空想するわたし‥
むかし、そんな絵を描いたなあ〜
吉田松陰の自筆と思われる辞世が長野主膳の遺墨の中から出てきた
と、井伊美術館が発表したニュース。
井伊直弼の懐刀の長野主膳。
冷酷非道なイメージをもたれているけれど、舟橋聖一の「花の生涯」では魅力的に描かれていて、キライやない。
マイブームの頃に、主膳の私塾、伊吹山の麓の桃廼舎(もののや)跡も、村山たかゆかりの金福寺も巡ったし。
政治家やなく国学者の彼は、吉田松陰という人に関心があったんと違うんかなあ、て思う。
ところで朝日新聞の記事は、山口県文書館保管の絶筆と同じく、辞世の句に添えられた松陰の名「矩方(のりかた)」が「矩之」と署名されていることに注目。
これまでは、処刑前に動揺して名前を書き間違えたんやないかとの見方もあったそう(それはありえへんわ〜)
でも今回の辞世にも「矩之」と署名されていたことで、刑死で名を汚さないように改名した可能性が強いのでは、と解説されていました。
ふーん、そうなんかなあ〜
勝手な想像やけど、そんなこと気にしはるようには思えへんのやけど‥
それよりも、死後生まれ変わった新たな自分を思って改名しはったんちゃうかなあ〜って。
こればっかりは本人に聞かんと分からへんね。
直弼の没後、彦根藩の体制が変わり、長野主膳も処刑されるのは、なんともなんとも。
幕末って、ダイナミックな時代やわ〜
主膳が投獄されていた牢屋跡には、義言地蔵(よしとき=主膳の諱)があります。
そのお地蔵さんの前に立って振り返ると、彦根城の天守閣が見えるんやなあ〜これが‥
主膳も牢屋の明かり取りから、かつて自分が直弼とともに権勢を誇っていたお城を眺めていたんやないかなあ、などと空想するわたし‥
むかし、そんな絵を描いたなあ〜
Posted by sho惑星 at 13:05│Comments(0)
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