2014年08月30日
「戦争と大津−激動の時代と子どもたち−」展
瀬田国民学校の絵日記から。
空襲警報が発令するなか、少女たちが呟く「私たちは勉強と戦争をしている」。
昨年、絵日記を描いた少女たちが集まったドキュメンタリー番組がNHKであったけれど、その時に中途半端な終わりかたをした絵日記を締めくくるため68年ぶりに彼女たちが描いた日記(パネル写真)から。
竹槍でほんまにB29をやっつけられるのか。
息子の壮行会で、陰で泣く母親の姿。
汽車で出征してゆく兵隊さんの元気いっぱいの顔。
当時は書けなかった、子ども心にも不思議に思ったことが綴られていた。
ごくごく普通に抱いた疑問を、小さな子どもですら憚り、口にできなかったがんじがらめの時代‥
今展覧会の目玉は、昭和2年、日米親善のためにアメリカから贈られた「青い目の人形」。
滋賀県の幼稚園や小学校に贈られた135体の人形のうち、現存する4体が勢揃い。
平野小学校、稲枝北小学校、甲南第二小学校、日野小学校以外にも、まだ発見されずどこかに残っているかもしれないけれど、戦時中に敵国への憎しみが人形にも向けられ、多くが壊されたり焼かれたりしたそう。
‥人形に、なんの罪があるんやろう‥
人がまっとうな心を失う戦争。
失わなくても、正しい理性をねじ曲げなければならない戦争。
国の正義を標榜する狂気の戦争。
「戦争と大津−激動の時代と子どもたち−」展は、8月31日まで。
大津市歴史博物館にて。
Posted by sho惑星 at 12:13│Comments(2)
│かかる日のこと
この記事へのコメント
♪青い目をしたお人形さん、、、一応メロディーだけは知っております。
何度かこの人形さんのこと新聞で見た記憶がありますが、日野と膳所他にもう2体あったのですか。
作詞は野口雨情でしたよね。日野の生まれやったかなあー。
何度かこの人形さんのこと新聞で見た記憶がありますが、日野と膳所他にもう2体あったのですか。
作詞は野口雨情でしたよね。日野の生まれやったかなあー。
Posted by 吉祥
at 2014年08月30日 15:46

to.吉祥さん
徴兵の書類等を破棄せずに遺したびわ町の方と同じように、校長先生が人形を守り隠したおかげで、いま目にすることができるんですね。
むかし野口雨情の歌碑、見に行きました。
大正‥やるせない‥
夢二の時代の文化、アートが好きで、当時のファッションがステキで、絵画展の時などに着物を着ています。
徴兵の書類等を破棄せずに遺したびわ町の方と同じように、校長先生が人形を守り隠したおかげで、いま目にすることができるんですね。
むかし野口雨情の歌碑、見に行きました。
大正‥やるせない‥
夢二の時代の文化、アートが好きで、当時のファッションがステキで、絵画展の時などに着物を着ています。
Posted by by.sho惑星 at 2014年08月31日 12:34