2015年05月24日
琵琶湖の漁撈
先週の福山コーナーの隣りにあった中村清作さんの「淡海たより」(朝日新聞滋賀版5月20日)。
わたしの大好きな漁“おいさで漁”の話題でした。
おいさで漁とは、琵琶湖の浅瀬にいる鮎を網に追い込み、すくい獲る伝統漁。
20年ばかり前、どうしても自分の目でおいさで漁が見たくて、何日も今津の浜辺を訪ねたことがありました。
いつ、どこでやっているのかわからないまま、浜を南から北、北から南へと歩き続け‥
浜辺近くの民家の軒先に、カラスの羽根がついた竿を見つけた時の嬉しさといったら!
おいさで漁をやっている決定的証拠や〜ん♪
やっとやっと、
浜の向こうにおいさで漁をする漁師さんらの姿が見え、
砂に足をとられ、こけそうになりながら駆けつけると‥
漁師「今日は獲れへんからやめや〜」
わたし「え゛〜〜」
息も絶え絶えに走ってきたうえに、ショックが重なり‥
茫然自失で立ち尽くす‥
そんなわたしを不憫に思ったのか、漁師さんたちは、いまからエリの魚を獲りに行くので一緒に行くか、と船に乗せてくれました。
湖上で見る漁師の姿とその生業に初めて触れた、忘れられない日となりました。
その漁師さんらは自分たちを「浜分おいさで漁保存会」と呼んでいました。
ホントは保存会ではないけれど、もういつ絶えてもおかしくない伝統漁を敢えて続けている、という意味で‥
久しぶりにおいさで漁が見たくなりました。
浜分の漁師さんらは、お元気かな。
おいさで漁の追い込みの竿につけるカラスの羽根は、昔はカワウの羽根やったそう。
ところで、昨日、宇治川の鵜飼の鵜のヒナが人工孵化で産まれた、とニュースでいっていました。
宇治川の鵜はウミウ(海鵜)なんやそう。
川なので、カワウ(川鵜)やと思ってました〜

・琵琶湖の汀・
わたしの大好きな漁“おいさで漁”の話題でした。
おいさで漁とは、琵琶湖の浅瀬にいる鮎を網に追い込み、すくい獲る伝統漁。
20年ばかり前、どうしても自分の目でおいさで漁が見たくて、何日も今津の浜辺を訪ねたことがありました。
いつ、どこでやっているのかわからないまま、浜を南から北、北から南へと歩き続け‥
浜辺近くの民家の軒先に、カラスの羽根がついた竿を見つけた時の嬉しさといったら!
おいさで漁をやっている決定的証拠や〜ん♪
やっとやっと、
浜の向こうにおいさで漁をする漁師さんらの姿が見え、
砂に足をとられ、こけそうになりながら駆けつけると‥
漁師「今日は獲れへんからやめや〜」
わたし「え゛〜〜」
息も絶え絶えに走ってきたうえに、ショックが重なり‥
茫然自失で立ち尽くす‥
そんなわたしを不憫に思ったのか、漁師さんたちは、いまからエリの魚を獲りに行くので一緒に行くか、と船に乗せてくれました。
湖上で見る漁師の姿とその生業に初めて触れた、忘れられない日となりました。
その漁師さんらは自分たちを「浜分おいさで漁保存会」と呼んでいました。
ホントは保存会ではないけれど、もういつ絶えてもおかしくない伝統漁を敢えて続けている、という意味で‥
久しぶりにおいさで漁が見たくなりました。
浜分の漁師さんらは、お元気かな。
おいさで漁の追い込みの竿につけるカラスの羽根は、昔はカワウの羽根やったそう。
ところで、昨日、宇治川の鵜飼の鵜のヒナが人工孵化で産まれた、とニュースでいっていました。
宇治川の鵜はウミウ(海鵜)なんやそう。
川なので、カワウ(川鵜)やと思ってました〜
・琵琶湖の汀・
Posted by sho惑星 at 07:25│Comments(2)
│かかる日のこと
この記事へのコメント
私の里は漁村ではなかったのですが、半農半漁の家が何軒かありました。琵琶湖はすぐ目の前でしたから、子供の頃このおいさで漁業何度か見ていました。漁そのものはあまり印象に残っていませんが、小鮎をトラックに乗せて運んでいたのが記憶に残っています。
春先だったかと思うのですが、北方面から(高島および北小松の漁師どこかと思います)トラックの荷台に水槽を積んで運んでいました。荷台には当時許されていたのか、人が乗って肥杓を持って水槽の水を汲んでは水槽の中に入れておられました。
一応酸素ボンベで酸素注入もやっておられたと思うのですが、足らない分は人力でもって水槽の中の撹拌されていたのだと思います。今だったらトラックの荷台に人が乗ることは許されないと思いますが、当時は規制が緩かったのでしょうね。このトラック輸送ですが頻繁に見ていて、きっと小鮎を全国の川に放流されていたんでしょうね。
でもいつしかこのトラック輸送すつかり見なくなってしまいました。
春先だったかと思うのですが、北方面から(高島および北小松の漁師どこかと思います)トラックの荷台に水槽を積んで運んでいました。荷台には当時許されていたのか、人が乗って肥杓を持って水槽の水を汲んでは水槽の中に入れておられました。
一応酸素ボンベで酸素注入もやっておられたと思うのですが、足らない分は人力でもって水槽の中の撹拌されていたのだと思います。今だったらトラックの荷台に人が乗ることは許されないと思いますが、当時は規制が緩かったのでしょうね。このトラック輸送ですが頻繁に見ていて、きっと小鮎を全国の川に放流されていたんでしょうね。
でもいつしかこのトラック輸送すつかり見なくなってしまいました。
Posted by 吉祥 at 2015年05月24日 20:17
to.吉祥さん
吉祥さんのふるさとの浜でもおいさで漁やってはったんですね。
昔はもっと南でもやってたのかなあ。
でもおもしろい漁方ですよね。
海津で小鮎を出荷してはると思うのですが‥
トラックでの輸送は、姉川で見ました。
姉川のは、簗にかかった鮎を四ツ手網ですくってはりました。
全国の河川へ旅立っていくんでしょうね〜
吉祥さんのふるさとの浜でもおいさで漁やってはったんですね。
昔はもっと南でもやってたのかなあ。
でもおもしろい漁方ですよね。
海津で小鮎を出荷してはると思うのですが‥
トラックでの輸送は、姉川で見ました。
姉川のは、簗にかかった鮎を四ツ手網ですくってはりました。
全国の河川へ旅立っていくんでしょうね〜
Posted by by.sho惑星 at 2015年05月25日 00:20