2014年09月07日
愛知川橋梁 〜朝日新聞余話
明治31年(1898)、近江鉄道が開通した年に、愛知川を渡る鉄橋も建設されました。
1897年(明治30年)ロンドンのハンディサイド社(HANDYSIDE)製造の銘板がありました(現在は外されて保存)。
構造は、10連、全長238.66m。
北端(愛荘町側)の1連のみ、ワーレン桁のトラス橋になっていて、その橋梁の下の、夏草ボーボーの河原からスケッチしています。

ここだけトラス橋となっているのは、
「架橋後、不飲川(のまずがわ)が改修された際に、鉄橋の北詰は水量が増す両川の合流点となったため、補強工事が実施されたためであると伝えられている」(愛荘町発行の近江愛知川町の歴史第四巻より)
さて、どこから描こう‥と永年思い続けてきた結果、紙面のアングルに行き着いたのでした。
(愛荘町愛知川)
1897年(明治30年)ロンドンのハンディサイド社(HANDYSIDE)製造の銘板がありました(現在は外されて保存)。
構造は、10連、全長238.66m。
北端(愛荘町側)の1連のみ、ワーレン桁のトラス橋になっていて、その橋梁の下の、夏草ボーボーの河原からスケッチしています。
ここだけトラス橋となっているのは、
「架橋後、不飲川(のまずがわ)が改修された際に、鉄橋の北詰は水量が増す両川の合流点となったため、補強工事が実施されたためであると伝えられている」(愛荘町発行の近江愛知川町の歴史第四巻より)
さて、どこから描こう‥と永年思い続けてきた結果、紙面のアングルに行き着いたのでした。
(愛荘町愛知川)
Posted by sho惑星 at 19:47│Comments(4)
│絵と文のこと〜朝日新聞
この記事へのコメント
愛知川橋梁 なつかしいなぁ。
10年前に、冬の愛知川橋梁を描きました。(行方知れず、トホトホ)
まあ、また近いうちにリベンジです。
うちは他紙ですから、連載は図書館に見に行きましょう。
10年前に、冬の愛知川橋梁を描きました。(行方知れず、トホトホ)
まあ、また近いうちにリベンジです。
うちは他紙ですから、連載は図書館に見に行きましょう。
Posted by 湖東のハンス at 2014年09月08日 20:36
to.ハンスさん
かれこれ夏休みの記事ですみません。
行方不明‥は残念です‥
是非ぜひ見たいので、出てくることを願って。
別の描きたいアングルがあるのですが、それを描くには相当の覚悟がいるので断念しました〜
かれこれ夏休みの記事ですみません。
行方不明‥は残念です‥
是非ぜひ見たいので、出てくることを願って。
別の描きたいアングルがあるのですが、それを描くには相当の覚悟がいるので断念しました〜
Posted by by.sho惑星 at 2014年09月09日 13:53
本当に変わった橋ですね。やはり大水害のことを考えてつくたんですね。
中山道歩いた時いい音がしとように覚えています。
近江鉄道乗った時もいい感じのはしでしたわ。
中山道歩いた時いい音がしとように覚えています。
近江鉄道乗った時もいい感じのはしでしたわ。
Posted by そば打ちおじさん
at 2014年09月10日 12:53

to.そば打ちおじさん
どうして1連だけなのか、わたしも不思議に思っていました。
トラス橋って、魅力的ですね。
そば打ちおじさんは、電車旅をたくさんされていらっしゃるので、いい鉄橋風景をご存知でしょうね。
またお教えください。
どうして1連だけなのか、わたしも不思議に思っていました。
トラス橋って、魅力的ですね。
そば打ちおじさんは、電車旅をたくさんされていらっしゃるので、いい鉄橋風景をご存知でしょうね。
またお教えください。
Posted by by.sho惑星 at 2014年09月11日 21:52